| 奈良時代 |
天平9年 |
45代 聖武天皇
西紀 737年 |
牡鹿柵成り本社地内及附近の地、其域内なりしかば代々の使臣、尊崇厚かりしという。 |
| 宝亀11年 |
49代 光仁天皇
西紀 780年
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鎮守府副将軍百済俊哲の奏上に依り準幣社となる。 |
| 延暦元年 |
50代 桓武天皇
西紀 782年 |
勲五等に叙せらる。 |
| 平安時代 |
貞観8年 |
56代 清和天皇
西紀 866年 |
鹿島神、陸奥国に鎮祭せらるるもの貞観八年に於て三十八社あり。本社は実に其の一なり。
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| 延喜年中 |
60代 醍醐天皇
西紀 902年 |
全国神社調査、世に延喜式神明帳といわれ、本社も記載されている。 |
| 鎌倉時代 |
元暦年中 |
82代 後鳥羽天皇
西紀 1184年 |
藤原秀衡、泰衡、社領寄進、社殿修築す。 |
| 文治年中 |
82代 後鳥羽天皇
西紀 1186年
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葛西三郎清重奥州奉行兼平泉検非違使となり、当地方を領し、本社を崇敬し、宝物を寄進す。 |
| 永仁年中 |
92代 伏見天皇
西紀 1294年 |
清重五代の孫伊豆守清宗鎌倉より下向し、石巻日和山に築城するや、本社を其南麓に移転し清宗亦本社を崇敬し社領を寄進し、社殿を造営す。 |
| 室町時代 |
興国年中 |
98代 後村上天皇
西紀 1341年 |
興国年中鎮守府将軍左中将北畠顕信、日和山城に在りて葛西氏と共に四隣の賊軍と戦い多賀の国府を占拠せる石堂秀慶父子を撃破し、遂に三迫に追へり。
興国四年十一月宇津峯落城後守永親王を奉じ、出羽を経て日和山城に来れる社伝あり。南朝の将軍より幣物を奉りしことの口碑蓋し此事なるべし。 |
| 天文5年 |
105代 後奈良天皇
西紀 1536年 |
葛西家十三代武蔵守宗清、登米郡寺池に移城し日和山廃墟となる。 |
安土・
桃山時代 |
天正18年 |
106代 正親町天皇
西紀 1590年 |
葛西家17代左京太夫晴信、豊太閤の為に社領
を没収せられ、加賀に流謫せらる。仍て再び社領を失う。 |
| 江戸時代 |
延宝年中 |
霊光天皇
西紀 1674年 |
山崩の為社務所潰倒埋没し、宝物旧記等を失う。 |
| 元禄16年 |
103代 東山天皇
西紀 1703年 |
御検地高畑代二百十五文の地を本社供料として門脇村より寄進せらるるも明治初年上地せしめらる。
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| 享保20年 |
105代 桜町天皇
西紀 1735年
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享保十九年二月別
当嘉宝院元獄本社を旧社地に移転の儀仙台藩庁の許可を得て同二十年現境内地に移転遷座東西三十五間南北五十四間除地となる。 |
| 明和9年 |
118代後桜町天皇
西紀 1772年 |
仙台藩庁の命に依り海上安隠の祈祷を執行示後恒例となる。 |
| 寛政6年 |
119代 光格天皇
西紀 1794年 |
本殿並に拝殿、玉垣等の修繕をなすに際し
、国主より左の寄進あり。
一、御初穂米弐拾石並に普請中の諸人夫
牡鹿郡中より御屋形様御役所(伊達家)
一、銭八拾貫文並に檜角百本
奥州南部慶治郎御役所(南部家)
一、米拾石
一、一ノ関様御役所(田村家) |